院長の独り言です。
私は、共産主義者でもなんでもありません。
ただ、これほど心豊かに生きてきたひとりの人間を、かくも無惨に踏みにじる「もの」に
暗然とさせられます。
今現在、自分達がいかに楽な時代に生きているかを改めて思います。
小林多喜二氏の生きた時代のように、自分の勇気や弱さを暴力的に試されずに済んでいます。
それが、とてもありがたいと思うと同時に、今こそ気持ちを引き締めるべき時だと感じます。
作家の澤地久枝さんが小林多喜二忌に関し素晴らしいエッセイを書かれています。
以下に、その文章を抜粋し掲載します。
『多喜二の死は、近づく時代への命を賭けた警告であった。多喜二の人生の壮絶さを思う
とともに、彼を支えた伊藤藤子、その母の志、多喜二の青年期からの恋人田口タキ、彼
の母と弟妹の「たたかい」を考えずにはいられない。あの時代、勇気をもって生きた人たちは、
ずっと沈黙のなかにいた。
−中略ー
私が思うのは、地下の多喜二と連絡をとりあい、危険を覚悟の上で、作品を受け取る方策
をこうじた雑誌記者の勇気である。体制迎合もしくはなにもしないのが安全と誰の目にもうつ
っていた社会で、あえて多喜二の側に立とうとした人たちがいたということの意味を考えたい。
現在の政治は悪いといっても、多喜二の時代のようではない。
しかし、私たちの抵抗が弱ければ、愚かで残忍な政治は何度でも繰り返される。
最後は一人ひとりの意志が問われよう。
多喜二忌は、追悼の日であるとともに、わが生き方を考える日でもある。』
市立小樽文学館に展示されている小林多喜二氏のデスマスク